苦しみと生きる人 『アーサー王伝説』と『マイファミリー』

『マイファミリー』の最終回を終え、むしょうに『アーサー王伝説』が見たくなり、退団記念のブルーレイもまだ未開封でしたので、改めて見てみることに致しました。

今回は『アーサー王伝説』を中心にちょっとだけ『マイファミリー』の話も交えつつ[苦悩の中を生きる珠城さんの魅力]について書いていこうと思います。今回も褒めちぎりだよ〜笑

 


2016年月組文京シビックホール公演

アーサー王伝説

潤色・演出 石田昌也

 

 

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【中世の始め、ブリタニア-。この地にはいにしえより聖剣エクスカリバーの伝説が語り継がれていた。曰く、エクスカリバーを引き抜く事が出来るのは誠実な心を持ち合わせた真の勇者のみ。その剣を抜いた者はブリタニアを統べる本物の王となるだろう…。

長い年月、幾多の者が挑んでは敗れた聖剣を一人の少年がいとも簡単に引き抜く。その少年こそ、後の若きブリタニアの王・アーサー(珠城りょう)であった。】

 


前回のブログでは、珠城さんの魅力ってスタンダードなところだよね、スタンダードな存在は個の特別性を照らしてくれるから、ありふれた一市民を演じる時にひときわ輝くんだよね、というようなお話をいたしました。

今回振り返る『アーサー王伝説』で珠城さんが演じるのは、エクスカリバーの伝説や円卓の騎士でお馴染みの若きブリタニアの王、アーサー。バリバリの王位後継者です。しかも魔術師やら魔女やらも出てきてなんだかファンタジーめいている。全然ありふれてない!

 


結論から申しますと、スタンダードな人がそんな人物を演じると、魅力が『説得力』に転化されるように思います。

だってもうせり上がってきた瞬間に「あっ、これはエクスカリバー簡単に抜くわ」って理解できるじゃないですか(笑)そういう演出になってるからというのもありますけど、演出云々を超えた『説得力』があの人にはあるんです。

 

正直、見た目の要素も多分にあると思います。上背があって全体の等身バランスがとても良い。「恵まれた体型」とよく媒体等では紹介されますが、その通り(笑)。

でも「恵まれた体型」はそれを使いこなせなくては全く意味を成さない。

エクスカリバーだってただ抜けるだけでは国は治められないのです。聖剣を抜くに相応しい人物であると広く認められなければ。

 

 

 

普通宝塚のトップスターが運命の王子を演じるならば、カリスマ性をもって征するのが正攻法でしょう。

異質さ、とでも言いましょうか。極めて美しいとか追随を許さない華があるとか、或いは他を圧倒するだけの技術があるとか。そういったものから生み出される迫力が「只者じゃない感じ」に繋がり、加えて各個人の演技力でもって王たる所以を示してゆく。(たまにカリスマ性だけで乗り切っちゃう人もいるけど(爆)それはそれでいいのですスタァなんだから)。

珠城さんは美貌の人ですが、カリスマ的な人かと言われると少々違和感があります。カリスマが三角形の頂点だとしたら、珠城さんは丸い円の中心にいるイメージ。

 

 

 

話を『アーサー王伝説』に戻しましょう。

聖剣は抜いたけれど、さて珠城アーサーは自分の正当性をどのようにして人々に納得させる?


物語が進むにつれアーサーの出生の秘密が明らかになり、彼の誕生を恨んで復讐心を燃やす義姉モーガン(美弥るりか)なども登場し様々な試練に見舞われます。試練の連続の中でアーサーが得た最大の果報が、愛する妻グウィネヴィア(愛希れいか)です。

しかし、そのグウィネヴィアもモーガンの策略により円卓の騎士の1人ランスロットと惹かれ合うように仕向けられてしまう。

 

ランスロットが聖杯探しを放り出して危機に瀕したグウィネヴィアを助け出したことで、2人の関係が露呈。

不貞を犯した者は命を奪った上に衣服を剥ぎ取り市中引きずり回しの辱めを受ける、それがこの国の掟です(なんちゅう掟や)。

アーサーはここで王として罪人を処刑する選択を迫られます。

[愛する人を奪われた上に自らの手で処刑しなければない]、この地獄の苦しみこそが、先王の不貞により母を奪われた義姉モーガンの狙いでした。

 


磔にされたグウィネヴィアとランスロットを前に、アーサーは遂に決断します。

「二人を許すこととする」。

国を統治する王としては間違った選択であったとしても、アーサーは愛する妻を貶める行為にしのびず一人の人間として当然の感情を優先させます。

それにしてもアーサーはグウィネヴィアの不義を責め立てることはしないんですよね。裏切られた悲しみもあるはずなのに、相手を想う慈愛の精神が先に立つ。この、人としての心の器の大きさこそがアーサーを真の王と人々に知らしめることになるのですが、偉大すぎる彼の行動は一つの悲劇を生みます。(こういうのもすごい珠城さんぽいなぁと思う(笑)ド直球のド正直は時として眩しすぎる)(すみません話逸れました)

 

アーサーの大きな愛を前にグウィネヴィアは自分の罪深さを認めきれず、遂に発狂してしまうのです。

グウィネヴィア、可哀想過ぎませんか…?だって騙されてたようなもんですよ!?でも騙されていたことも含め、受け止めることが出来なかったのでしょうね。

いっそ強く詰られた方がグウィネヴィアは救われたかもしれません。 

 

心を壊してしまったグウィネヴィアを思わず抱きしめるアーサー。

私はここの珠城アーサーのなんとも言えない表情が好きです。

悔恨、妻への尽きぬ愛、自分の無力さ…その全てを振り切って、グウィネヴィアを静かに手放す。

数十秒の別れの時間ですがアーサーの人としての苦悩が詰まっていて、こういう心の襞の細やかさが珠城さんの『説得力』を支えているんだなと思います。言うなれば、血が通っている。

カリスマに勝る珠城さんの『説得力』の正体は、異質さとは真逆の、実体の濃さにあるのではないでしょうか。

 

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不貞という思わぬ落とし穴。

トップスターのプレお披露目で愛と許しを巡る王の物語を演じた珠城さんですが、女優デビューとなった『マイファミリー』でも、愛を求めて求めきれず、許されぬ罪を背負って生きる女性・東堂亜希を演じることとなりました。

魔女の策略で夫の愛を裏切ってしまったグウィネヴィアと、他人の優しさで夫不在の孤独を埋めてしまった亜希を同等に語るのは多少こじつけ感がありますが、まぁ目をつぶってもう少しお付き合いください(笑)

 


先日行われたトークショーで、最後の面会の場面で亜希が結婚指輪をつけていたのは珠城さんのリクエストによるものだったという話があったそうですね。

その話を聞いた時、これは珠城さんがやるべき仕事に間違いなかったと再認識しました。

 

東堂亜希はそういう女です。グウィネヴィアのように心を壊したりしない。

 

アーサーは「死ぬことよりも生き続けることの方がはるかに過酷であると知るがよい」と二人を突き放しますが、この言葉を借りるなら亜希は「死ぬことよりも過酷な生き続ける道」を選んだのです。

亜希は指輪を外せなかったのか、意志を持って外さなかったのか。

おそらく両方でしょう。

亜希にとって結婚指輪はかつて確かにそこにあった幸せの証であり、同時に全てを台無しにしてしまった自分への戒めでもある。

彼女が何をよすがに生きてきたか…。そこに指輪がある事により、古びた布バッグをきつく握りしめて佇んでいる姿がとても雄弁なものとなりました。

 

珠城さんが「亜希は指輪をつけているはず」と思うに至った経緯はわかりませんが、珠城さんはきっと整合性の取れないことは気持ち悪くてできないタイプの人なんだと思います。役者としてのカンの良さというか「これってこの役には必要ないよね」とか「この人ならこうするはずだよね」っていう感覚が鋭い人。

整合性というのはとても重要で、どんなにかけ離れた境遇の人物であったとしても(中世イングランドの王や不倫に走ってしまう妻など)きちんと芯が通っていれば、観客は共感とまではいかずとも、その人がなぜその道を辿ることになったのかを自分の感情とうまくスライドさせて理解できるようになる。

珠城さんは当たり役が多いと言われますが、これは珠城さんがスタンダードな魅力を持ちながら、頑固一徹に自分の中の整合性を大事にして作品に向き合ってきた結果なんだと思います。

 

 

 

グウィネヴィアを抱きしめるアーサーと、面会室で泣き崩れる亜希。

この二役は対のような気がするのです。

珠城さんの強火ファンは『アーサー王伝説』大好きですよね。ぽんちゃんとか(笑)。で、多分ですけどアーサー好きな人は東堂亜希ちゃん大好きです(笑)

 

『死ぬことより生き続ける事の方がはるかに過酷であると知るが良い』

アーサーはランスロットに語りかけながら実は自分自身にも同じ難行を課している。

だってアーサーは二人をスパッと処刑して無かったことにだってできたんですから。

 

アーサーはどんなに苦しい道でも、真正面から向かい合った。

亜希は樹生の前から姿を消してしまったけれど、人生の苦しみからは逃げなかった。

そして私が知る限り珠城りょうさんご本人も、時に不器用なほど何事にも真正面からぶつかって、その身が傷つくことも厭わずに突き進んでいく人です。

ファンとしては時々(度々?常々?笑)心配になりますが、そんな生き方が似合う彼女だからこそ多くの人を惹きつけるのだと思います。そして同時に、その不器用さや生真面目さがあまりにも眩しくて、メリアグランスのように時々反撥したくなる人も。

 

アーサーも亜希も、決して聖人ではない。

若者ゆえの奢りもあれば、寂しさに耐えかねて禁じられた遊びに手をのばすこともある。ゆえに足元を掬われ窮地に陥りますが、人の真価はこんな場面でこそ問われるものです。

不都合から目を背けず、真正面から挑む勇気。それこそが聖剣エクスカリバーを抜く者の条件なのではないでしょうか。

亜希は広島で一人どんな生活を送っていたのでしょうか。ひっそりと罪と向き合った5年間はきっと短くはなかったはずです。そして樹生の逮捕がなかったらもっと長い自責の時を過ごしたはずです。「亜希」と名前を呼ばれ堰を切ったように慟哭する姿が彼女の背負うものの大きさを物語っていました。あの姿を見て、単なる不倫妻の末路だと誰が嘲笑うことができるでしょうか。哀しい一人の女の叫びを。

 

アーサーもまた、現実を生き続ける私達と同じく『生きる苦しみ』の中でもがき、それでも最後には聖剣を手に、正しき道を指し示してくれる。カッコ悪くても辛くてもそれでいいんだと、傷ついた姿が光り輝いて見える。

 


アーサー王と東堂亜希。

 


苦悩する珠城さんは、そんな訳でやっぱり美しいのです。

 

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相変わらずの長文、お付き合いいただきありがとうございました。

次回はもう少し砕けた内容にしたい、と思います…(できれば)

 

 

コメント

コメントありがとうございます!

お返事したいのに「コメントを返信するにはログインが必要です」って言われるー!ログインしてるのにー!!!

 

という訳でここで返信させて下さい←

 

tamaneko22様

コメントありがとうございます。

トップスターになるべくしてなったような人なのに、ご本人は悩んだ時期が長かったようですね。

前任のトップさんがトリックスターの代表のような方で、その前が歌もダンスもなんでもござれの職人スター、さらに前がTheひばりタイプの大スターですから、自分の在り方に疑問を持つのもやむなしという感じですが…( ̄▽ ̄;)

珠城さんの魅力は宝塚でもかなり珍しかったと思います!おっしゃる通り珠城さんが主演になることで組全体がグレードアップして今があるのですから、論より証拠ですよね!

 

またゆっくり記事書きますのでお読みいただけたら嬉しいです。

スタンダードであること〜CUORE、ON THE TOWN

お久しぶりです。

いやほんと、お久しぶり。

珠城さんの小劇場公演について語ろうと思いつつあっという間に月日が流れ、気がつけば退団公演の初日からもう一年が経ってしまいました…!

 

言い訳はせず(笑)ファーストコンサートが終わった今、改めて珠城りょうさんの魅力について私なりに思ったことをまとめたいと思いますのでよろしくお付き合いくださいませ。

 

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『CUORE』素晴らしいコンサートでした。

珠城さんという人はつくづく座長が似合う!

場がしまるんですよね、珠城さんがいると。

珠城さんが真ん中にいる事で生まれる安心感、きっと他キャストのファンの皆さんも感じ取られたのではないでしょうか。

ぶれない軸、一歩踏み出す勇敢さ、誰をも包み込む慈愛の精神、そして曇りないあの笑顔!

「主役が似合う」と「座長が似合う」は同じようでちょっとニュアンスが違う。

座長が似合う主役タイプとでも言いましょうか、

つまるところ珠城さんてとてもスタンダードなんですよね。

 

 

スタンダード 『標準。規準。また、標準的であるさま(デジタル大辞泉より)』。

 

例えば、バーバリーのトレンチコート。

モンブランの万年筆、コンバースのスニーカー。

永遠のスタンダードだけが放つ揺るぎない存在感。

 

珠城さんの表現者としての魅力はまさにこのスタンダードな佇まいであると、宝塚を退団して真っさらになった珠城さんを見て再認識しました。宝塚時代、その真価を存分に発揮したのが2019年の『ON THE TOWN』だったのではないでしょうか。

会場が同じ東京国際フォーラムだったせいか『CUORE』で歌われていた『僕の願い(ノートルダムの鐘より)』を聴きながら私はぼんやりとゲイビーの事を考えていました。

 

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アメリカ海軍の水兵ゲイビー(珠城りょう)、チップ、オジーは24時間の上陸許可で生まれて初めて大都会ニューヨークへ降り立つ。めくるめく摩天楼での夢のような時間を期待した彼らであったが、なんとゲイビーは地下鉄に貼ってあるポスター「今月のミス・サブウェイ」ことアイヴィ・スミス(美園さくら)に一目惚れ!友人達を巻き込んでアイヴィを探すべく奔走するのであったがー】

 

1944年初演のブロードウェイ・ミュージカル。

若い男女の恋と友情を巡る大騒動をレナード・バーンスタインの名曲に乗せて描いた作品です。

賑やかでダンスナンバーも盛り沢山のこの公演で特に私の心に残っているのは(映像化されてないのでマジで記憶頼み)、ゲイビーが夕暮れの中で寂しく歌う『孤独な街』です。

華やかな人々が行き交う大都会の片隅で、会いたい人に会えず途方に暮れる一人の水兵。

彼はアメリカ国土の大半を占めるありふれた田舎町で育ち、水兵として上陸許可を貰わなければニューヨークなど一生縁のなかったはずの青年です。高層ビルも地下鉄もミス・サブウェイも彼にとってはまるでおとぎ話のよう。

 

ゲイビーは宝塚の主人公としては割とつまらない男です。つまらないっていうか、あまりにも普通の人なんですよね。衣装もセーラー着たっきりだし(スケスケレスリングについてはまた別で語りたい)。

けど、そのつまらない普通の男を演じる時の珠城さんの輝きときたら!

 

珠城さんは人柄の温かさと体育会系の性質から陽の人と思われがちですが、私は彼女の本質的な持ち味は真逆にあると思っています。

話が前後して恐縮ですが、自分のファーストコンサートで数あるディズニー作品の中から『ノートルダムの鐘』を選ぶような人なんですよ。

本当だったらもっとヒロイックな歌を歌ってもいいものを、屋根裏に棲む醜男の心裡を歌いあげ、しかもそれがむしょうに観客の胸を打つ。

宝塚のトップスターにまで登り詰めた輝かしい人なのに、ゲイビーやカジモドのようなワンオブゼムの悲哀みたいなものがピタッと嵌る人。それが珠城りょうという役者なのです。

ワンオブゼム、いわゆる普通の人を演じてかつ主人公として成り立たせるには、やはり演じ手がどれだけ軸となってスタンダードに存在できるかだと思うのです。ちょっと話が抽象的になってきましたね。

 

 

私は高倉健さんの『新幹線大爆破』という映画がめちゃくちゃ好きなんですが、健さんが演じるのは、小さな町工場を営む時流に乗りきれない男なんですね。『幸せの黄色いハンカチ』の炭鉱夫も好きでした。

高倉健さん、女性では吉永小百合さんや天海祐希さんなんかが、私が感じる『スタンダード』を魅力とする俳優さんです。若い子だと清原果耶ちゃんとか。

(※さすがにこのビッグネームと珠城さんのお名前を並列するのは畏れ多いので、あくまで【属性】の話とご理解ください)

 

冷静に考えたら高倉健吉永小百合天海祐希も清原果耶もすぐ隣にいるはずがありません。見目麗しい燦然としたスターですから。

それでも高倉健が薄汚れたジャンパーを着て赤提灯の店からふらりと出てくる姿は容易に想像がつくし、吉永小百合が三角巾を被ってレジを打ってる姿もどこかで見たような気がするし、天海祐希が子供を電動自転車の後ろに乗せて坂道をガーガー漕いでる様は強い親しみを感じます。

ちなみにこれらの場面は完全に私のイメージで書いてます(笑)でもなんか全て絵になるし、安酒を飲む男の悲哀やレジ打ちの女の静かな暮らしや子供と少し頼りない夫を叱咤激励する妻の生活の匂いみたいなものが、伝わってくるでしょ?(強引)

 

「特別だけど【普通】、普通だけど【特別】。」

 

それこそがスタンダードな表現者の魅力であって、これはごく限られた人にしか与えられない才能のようなものだと思います。

 

例えば美空ひばりが何かをすると「ひばりの○○」になる。こっちはこっちで神が与えた紛れもない才能ですよね。特別オブ特別。そして、おそらく宝塚のトップスターとしてわかりやすいのはひばりタイプになるのでしょうし、その代表例が大地真央さんであり、、まぁこれ以上名前を出すのは止しておきましょう(笑)

とにかく言えるのは、珠城りょうという人は決してひばりタイプのスターではないということです。主役は主役でも毛色が違う。

 

 

高倉健吉永小百合のみならず、私達一人ひとりも、かけがえのない特別な個です。

彼らスタンダード型スターは、ひょっとしたら私もあれくらい輝いた存在なのではないかと、自分の特別性を肯定してくれるような気がするんですよね。「映画館から出てくるとみんな高倉健になってる」みたいなアレです。

 

ON THE TOWNに話を戻しますと、ゲイビーはこれから軍艦に乗って一兵士として戦地に赴く若者です。

ラストシーン。めでたく心を通わせたアイヴィと再会を約束してゲイビー達3人は艦に帰っていきます。その時、彼らと入れ替わるようにして同じような若者3人が弾けるように甲板から降りてくる。希望に溢れた3人に昨日までの自分達を重ね合わせてほほ笑むゲイビー。

この場面で私は毎回涙腺崩壊してました。

 

誰しもが特別な存在で、今日は二度と戻らぬ大切な一日なんだと、珠城さん演じるゲイビーから私はそんなメッセージを受け取ったように思います。

 

ゲイビーや『カンパニー』の青柳さん。ごくありふれた人物を演じるとき、上記のような珠城さんにしかない魅力が表出するように思います。

現在放映中のドラマ『マイファミリー』で身代金を引っ張って走る東堂亜希の姿がたった数秒にも関わらず視聴者に強いインパクトを残すのも、珠城さんのスタンダードさによるものなのかもしれません。

 

 

スタンダードの良さって、ちょっと分かりにくかったりもします。特にご本人にとってはそれが魅力だと言われてもきっとピンとこないでしょう。「だって、結局普通ってことでしょ?」

おそらく珠城さんは男役では無くなった自分の「普通さ」を不安に思われたのではないでしょうか。いやいや、その普通さ、全然普通じゃないですから!!

 

冒頭に挙げたバーバリーのトレンチコート。

もうあれは何の過不足もない不動のスタンダードですよね。全てのものの調和を可能にし、かつ着るだけでスタイリングそのものを一段クラスアップさせてくれる力がある。

やはりスタンダードアイテムにはシンプルさの奥底に他の追随を許さない品格が備わっていているのです。

 

『CUORE』を見て「珠城さんに触れるとなんだか自分が『良いもの』になったような気がする。」とツイートしたのですが、これって珠城さんが事ある毎に「みんなのおかげ」と言ってくださるからなのかな?と思ってたんです。

でも本当のところは、きっと珠城さんというスタンダードな存在が自分自身の特別性みたいなものを照らしてくれるからなんだと思います。

これは観客のみならず共演者やスタッフにも言えるかもしれません。だから、珠城さんが真ん中にいる座組はいつもいい空気が流れて、各人のいい仕事が光る。

 

珠城さんが自ら歌いたいとリクエストしたというさだまさしさんの『いのちの理由』。

「私が産まれてきた理由(わけ)は…」と繰り返しながら森羅万象の命の尊さを歌う名曲です。この歌、珠城さんにぴったりでしたね。きっとあの時誰もが珠城さんを通じて自分の人生や大切な人に思いをいたしたのではないでしょうか。ほんでこの歌からのドリチェはあかん…!!!(涙)

 

Tシャツ姿で現れた珠城さんの眩しさ、美しさ。

珠城さんを囲むCUOREキャストの輝き。

会場いっぱいに光るブレスライトと、力強い手拍子。

皆が互いを認め合う幸せな空間でした。

カーテンコールで珠城さんは「自分がここに居ていいんだとみんなが思わせてくれた」と泣いていらしたそうですが、そっくりそのまま同じ言葉をお返ししたい。

「私はここに居ていいんだと珠城さんが思わせてくれるから、私は貴女が大好きなんですよ。」

 

宝塚退団時の特集番組の結び、私はあのナレーションが好きすぎてスマホのメモ機能に書き写して今も時々眺めているのですが(怖い)、本当にその通りだと思います。ちょっと一部抜粋しますね(何かに抵触してたら消します)

 

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……舞台で役を生み出すことに厳しい珠城だが普段は非常に常識人で、周りへの気遣い、組の仲間への想いは細やかで、優しさや温かさに満ちている。

組の仲間からの敬愛、スタッフからの信頼厚い珠城りょうだからこそ、多くの作品で名舞台や魅力的な役を残してきたとも言えるだろう。

「トップスターらしいトップスター」

それが珠城りょうだと感じる。

 

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スタンダードでオーセンティック。

それが珠城りょうさんの魅力であると私は思います。

宝塚時代にもその輝きは存分に発揮されていたと思いますが、この魅力は今後の俳優・珠城りょうさんにこそ大きな強みになるのではないでしょうか。

本人には理解しにくい武器かもしれませんが、きっとこの先は珠城さんが自分らしさを活かせるような環境になると思うし、何も不安に思わずにご自分を大切にしてのびのびと活動してほしいと願っています。

 

きっとみんな、貴女を好きになるはずだから。

 

 

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長文にお付き合いいただきありがとうございました。

8人の女たち』までの期間ブログを書くことでたまロスを凌ごうと思いますので、再びよろしくお願いします。次は何を書こうかな…。

 

『ピガール狂騒曲』のこと・後編

ジャンヌたん語り、ここからは箇条書きで行こうと思います!

 

 

 

①ジャンヌ←→ジャックの揺れ動き

 


身を隠すために男の子姿になったはずが、持って生まれた体格とビジュアルの良さが災いしてモテモテになっちゃうのがおかしいやら可愛いやら(笑)

とても自然な変装なのがいいですよね。ナヨナヨすることなく、でもちゃんと(?)美青年にも女の子にも見える!

前半は男の子要素強めで後半はもう普通に女の子でしたね。ほんと珠城さん策士なんだから…

ミステリアスな魅力を撒き散らす銀橋ランウェイ『みんながイメージするジャック・ヴァレット』の場面。

「だって彼、女の子ならみんな憧れる〜♪」

そりゃそうだろ!と謎の立ち位置でオペラロックオン。特に銀橋歩いてきて下手サイドでモデルポーズするとこがツボでした。ここの引きショット東京楽映像に残ってるといいなぁ。

 

 

 

②いつしか芽生えた恋心

 

シャルルを想って歌う「秘めた想い」。

いったいあの派手なおじさんのどこに惚れたやら、恋とはまこと不思議なもの…うそうそ、れいこちゃんのシャルルはとっても素敵な人でした。あんなピュアでパワフルな人なかなか居ないよ。そりゃジャンヌたんもうっかり惚れちゃうわな。


「ああ、偽りの姿でなければ、真の姿ならばあなたに、この胸秘めたあなたへの想いを、伝えられるだろうか…」


シェイクスピア劇の醍醐味とも言えるすれ違う恋のもどかしさ。歌声もつややかさを増して、思わず駆け寄って抱きしめてあげたくなるような「恋する女の子」でした(珠城さん逃げて)

 

 

 

④ありがたやスカート姿


とりかえばや物語はスターの顔見世的な面もあり、文字通り七変化を楽しめるとあってファンにとっては最高の贅沢!

いやー、ほんの数十秒とはいえスカート姿の珠城さんを拝むことができるとは!ありがたい!!

町娘にしちゃだいぶ貫禄があるお姿でしたが、これがまぁ、そそるんですわ←

あのね、マルセルさん「あいつは上玉だ売れば金になる」言うてますけどね、上玉なんてもんじゃありませんよ。ありゃ吉原なら当代随一の花魁になりまっせ。傾国の美女っていうか、傾いた国を建て直すレベルのやつ。女帝。

ちなみにこの場面で花屋が出てくるあたりからソワソワしだしてるのだいたい珠嫁です(代表:私)

 

 

⑤自らの力で幸せを勝ち取る真性ヒロイン

 

ジャンヌたんは聡明でいつでも前向き。ちょっと押しに弱いけどやると決めたことは一生懸命に頑張っちゃう。結果妙なことに巻き込まれて窮地に陥り、持ち前の忍耐力でくぐり抜ける(笑)そんな王道ヒロイン朝ドラか90年代のりぼんにしか生息してないと思ってたけどパリにおったとは。

珠城さん、こういう王道ヒロインもお似合いになるんですね。まぁあの人の人生そのものがどっか王道ヒロインみたいなところあるからね…

 

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母を亡くし天涯孤独の身だったジャンヌが自らの機転で憧れだったムーラン・ルージュに飛びこんで、自分の居場所を見つけるだけでなく愛する人にも出会い、兄と義姉までできてしまうとは。

モンマルトルの墓地で肩を震わせていたジャンヌがお話のおしまいにはたくさんの人達に囲まれて笑っている。しかも恋人となった愛しい人とキスまでしちゃう。なんて幸せな大団円でしょう!

珠城さんにはハッピーエンドが良く似合います。

 



さて、ここからはフィナーレと、忘れちゃならないヴィクトール兄様についても触れておきましょう!


「えー!たまきちってこんな可愛いかったんだ〜」とお芝居のハッピーエンドモードに完全に油断している珠城りょうビギナーの皆様を一気に沼へ引きずり下ろす、怒濤のフィナーレ。

 

いやそもそもね、ヴィクトールくんで既にザワついてるじゃないですか(ザワついてるとは)

可愛い可愛い思ってたら突然通常運転の珠城りょうをくらわされた新規珠嫁の皆様、大丈夫その感情正解です。我ら古参嫁も高低差にやられておりますので…。

てか、なんなんですか?!あの人ズルくないですか!?!?振り幅!!

匙加減が絶妙すぎてどっちとも結婚したい…!!!

 


すみません一旦落ち着きます←

 

ジャンヌとヴィクトールは同じ人が演じているけど別の人。これもまた舞台と観客の共犯で成立する大きな【嘘】。嘘とわかっているはずなのに普通に「あ、違う人が出てきた」って思っちゃうんですよね。なんという手練。

 


フィナーレに話を戻しますと、娘役さんに囲まれて踊る場面では「え?さっきまであなたも女の子でしたよね?」と早くも脳内バグが。

「宝塚の男役フィルター」を外して1時間半お芝居をしておきながら再び堂々とそのフィルターを被り直す。一度バラした【嘘】をあっさりと信じさせてくれるのはさすがとしか言いようがありません。よっ!確信犯!!←大空ゆうひ様名言集より

 


黒燕尾も特筆すべき素晴らしさでしたね。振付は羽山紀代美先生、音楽は「オートバイの男」通称ドンドコドコドコ(勝手に通称つけるな)。


羽山先生の振りって身体の動きが綺麗じゃないとカッコよく見えない気がします。つまり、一つ一つの動きがバシッと決まるとこんなにカッコイイものはない!!って振付です。

前に向いて両膝曲げて飛ぶとこと、横向いてクロールの途中みたいな格好で飛ぶとこと、後ろ向いて指をスナップするみたいなポーズをするとこが好きです(伝われ)。

もちろん黒燕尾のテールペロンも!まさかドリチェで再会できるとは思いもしませんでしたが、今回の作品にぴったりの忘がたい振付でしたね。もうあのテールペロンの技名たまきスペシャルにしたい。

 


私が運動音痴なせいか、運動神経いい人の動きって見ていて胸がすく思いがするんですよね。

自分の身体能力を完全に統御している人の動きは美しい。

どこにどう手脚を伸ばせば美しいか、珠城さんは完全にコントロールしているんです。

男役として円熟期に入るとは即ちそういうことなのかもしれませんが、あの黒燕尾は何度観ても惚れ惚れしてしまいます。

 

そして…「メ マン」。

あんだけ爆踊りしたあとスローテンポの歌を歌いながら踊るって、珠城さんの肺活量どうなってるんですか???

黒燕尾の興奮の余韻が残る中、珠城さんがフッと息を整える瞬間が大好きでした。気が動くって言うんですかね。観客の集中力が珠城さんの呼吸に合わせてぐっと高まるような感覚がありました。

 

珠城さんの手の美しさ、相手役のさくらちゃんを見つめる瞳の確かさ。

官能的な歌詞も相俟って、まるでフランス産のワインに酔うようなうっとりとしたひとときでした。

 


ピガール本編を見た後のフィナーレ、なんだが泣けるんですよね。

変な例えですが、NHKのど自慢大会ってあるじゃないですか。素人さんが一生懸命歌って、鐘を鳴らすアレです。みんな上手いなぁって思いながら見てると最後にゲストの歌手の方が朗々とその歌声を披露する。当然ながらプロはすごいんですよ。

ピガールのフィナーレも、ああプロはやっぱり違うなぁってなんか感動するんです(笑)

それに『ピガール狂騒曲』はレビュー小屋を舞台にしたバックステージもの。演劇好きにとってバックステージものって特別な感覚があります。ましてやこのコロナ禍で「ひとときの夢に酔える場所」のために奮闘している人々の姿は激しく胸を打つ。劇中の彼らがそのままフィナーレのタカラジェンヌの姿に重なって、なんだか泣けるのです。

 

 

 

 


大羽根を背負って最後に降りてくる珠城さんは白い衣装でした。デザイナーさんが「白を着せたくなる」と仰るのもよくわかります。

 


クラシカルで正統派、まさに王道。

小細工無用、威風堂々。

強く大きく、その反面でとても繊細。

何をも包み込むが何とも混じらない。

 


珠城りょうという人はそんな人です。そんなトップスターでした。

 


男役としての土台があるからこそ成立する【嘘】に心地よく騙されて、珠城さんをはじめとする月組の多士済済の面々にパリの街へカッ攫われていく楽しさ。

ジャンヌと共に過ごした日々はまさに私にとっても「ベル・エポック」となりました。

大変な時代を歩むことになってしまったけれど、このタイミングで宝塚の基本に立ち戻るような2作品を珠城さんが率いる月組で見られたことは決して忘れられない、一生の思い出です。

 

 

 

さて、長らく珠城さんの軌跡を語ってきたブログですが残す大劇場公演はあと一作となりました。

 


まだ終わらせたくないので、ここで少し小劇場公演も振り返っていこうと思います(笑)桜嵐記を語るにはもう少したまさくについて掘り下げないことにはね。

 


では、また!

『ピガール狂騒曲』のこと・前編

ご無沙汰しております。

 


大好きなピガールについて書き綴っていたのですが、どうにも気持ちが溢れすぎて何度書いても支離滅裂になってしまって、諦めてしばらく寝かせてました〜ははは。

珠城さんも退団後のイントロダクションから新たなスタートをされましたので、こちらも負けじと再開していこうと思います!早速いきましょー!

 

 

 

 


『ピガール狂騒曲〜シェイスクピア喜劇「十二夜」より〜』

 

 

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【20世紀初頭、花の都パリ。新時代の到来に人々は胸を躍らせていた。

赤い風車が目印のレビュー小屋ムーラン・ルージュの門を叩いた青年ジャック・ヴァレット(珠城りょう)もその一人である。

訳あって糊口を探していた彼は支配人シャルル・ジドレール(月城かなと)に裏方仕事は無いかと直談判をするが、採用を賭けてある難題を持ちかけられてしまう。

「話題の作家ウィリーの美人妻ガブリエル・コレット(美園さくら)を新作レビューの主役として迎え入れるため、出演の承諾を取り付ける事」

シャルルに命じられ渋々ガブリエルの元へ赴くジャックであったが、実は彼には誰にも言えない秘密があって…。


シェイクスピア喜劇『十二夜』の世界をベルエポック時代のパリに置き換え、レビューを巡る人々の奮闘と恋を描いた祝祭劇。】

 

 

 

秘密。

なんという魅力的な響きでしょうか。

十二夜』で主人公が抱えている秘密と言えばただひとつ。即ち「実は女である」。

 

 

クルンテープの回でも少し触れましたが、舞台を成立させるためには『嘘』の共有が不可欠です。観客(騙される側)は嘘と知りつつ演じ手(騙す側)の策に乗っかって、まずは気分よく騙してもらう為に「共犯関係」になる必要がある。そして演じ手(騙す側)はあらゆる手を使って観客の見ている「嘘」の世界をいつの間にか「真実」にすり替えてゆく。舞台演劇の醍醐味ですよね。

 

宝塚はその最たるもので、まずは男性の出で立ちをした女優さんを「男役」と見なして初めて世界が成立します。

ところが今回はそこに「真ん中の人は男の子の姿をしてるけど実は女ですよ」という密約が加わります。しかもどうやら秘密を知っているのは本人と観客だけ…という最大の共犯関係。

 

 

そもそもこの「実は女である」という『十二夜』最大の秘密。

あのね、こっちは宝塚の舞台を「実は女である」なんて百も承知で気分よく騙されてる訳ですよ(笑)

それなのに?急に?しかもトップスターの珠城りょうさんを??女の子だと思って見てくださいとな???!!!

 


いやでもね、考えてみればとてもハードな難題です。

 


男役って鎧みたいなもんじゃないですか。いつもはその鎧姿を惚れ惚れと見ていたはずなのに、珠城さんのジャンヌが可愛いければ可愛いほど、なんだか鎧を剥ぎ取って素肌を見てしまっているような禁忌があって、いやこれいいんですか!?

だってね、剥き身の珠城さん(言い方)ハチャメチャに可愛いんですよ…もう存在が正解としか言いようがない………

 


ご卒業してしばらく経ち最近メディアなどに多くご登場されてますが、つくづくこの方は素材がいいですよね。今思えばジャンヌたんの可愛いところは全部珠城さんの中の人の可愛さがソースだったんですね。沼るはずだわ(笑)

しかしそんな珠城さんでもさすがにまさか男役真っ盛りのタイミングでピュアな女の子役が回ってくるとは思ってもみなかったようで(笑)

 

私も初めははこういうのはもっとフェアリータイプの男役がやるもんだと思ってました。

フェアリータイプの方が男役に女の子の影を見ても許される気がして。

例えばテレビドラマなんかだと、堀北真希さん、前田敦子さん、瀧本美織さん、等など「男の子のフリをした女の子」はやっぱり可愛い女の子なんですよ。

あれは見た目に違和感があって初めて楽しめるものなので、例えば男社会に紛れ込むからと言って本当に男にしか見えない人が入っていっても多分盛り上がりに欠けます。私はそれも見たいですけどね。

しかし宝塚で「とりかえばや」をやるとしたら、テレビドラマとは逆に珠城さんのようなパッと見で男らしいタイプの人の方がハマる。これは新発見でした。原田くんすごいね?!←何目線や

板の上の世界では違和感なく男に見えて、客席からは確かに女の子に見える。そんなの宝塚の男役として確立された人じゃなきゃ成立させられませんよ。

とはいえ益荒男ぶりが魅力の男役にやらせちゃそれこそ興醒めでしょうし、難しい匙加減です。

 


若きトップスターが円熟期を迎えた時に生み出される輝き。ジャック・ヴァレットはそんな珠城さんの魅力を存分に活かしたお役でしたね。皆が好きになるのも納得です。

余談ですがピガールはジャック(ジャンヌ)のファンアートがたくさんあってそれも嬉しかったです(笑)意外と珠城さんメインのファンアートって少ないんですよね…文章は多いけdゲフンゲフン ファンの特質ゲフンゲフン

 

 

 

ちょっと頭がパンパンになってきたので前編はこの辺りで。

後編はさらにディープにジャンヌたんの可愛いポイントを語っていきましょう!

 

 

《つづく》

 

 

 

 

『WELCOME TO TAKARAZUKA〜雪と月と花と』のこと

 

 

 

まんまとワクチン副反応に苦しみ、結局OAに間に合いませんでした泣

WTT、改めて見返しましたがやっぱり宝塚っていいなぁと思える作品でしたね。

 


【《雪月花》をテーマとする日本物レビュー。東京オリンピック開催を契機に日本の伝統的な美を世界へ向けて発信すべく、監修に人間国宝坂東玉三郎氏を招聘した】

 

 

 

「あなたの夢は何ですか、みんなあなたに叶えましょ」


ウェルカム…ウェルカム…と囁くように誘われチョンパ眩しく開幕すると、のっけから珠城さんの優しい歌声でこう切り出される。もう夢見心地です。

植田先生ってこういうキャッチーなの本当に上手いですよね。

 

 

宝塚でしか見られないものって幾つもありますが、日本物のレビューこそ宝塚ならではのもの。最近では記念興行的に上演されることが多いのでなかなか巡ってこない演目でもあります。


日舞は極めて繊細な芸術で洋舞に比べ派手な動きがない分、より演者の資質が問われるもの(洋舞disりでは無いので悪しからず。洋舞は洋舞ですごい)。

とりわけ宝塚の日本物レビューにはスターの「格」といったものが不可欠で、各組の演目バランスもありましょうが、任せられる人は限られると私は思います。

その点でWTTの珠城さんは、所作の美しさや扇さばきの鮮やかさ(まるで手に吸い付いているかのよう!)もさることながら、存在そのものが素晴らしかった。

円熟期を迎えたトップスターにしか出せない

美と貫禄がそこにはありました。

一作前でも後でもなく、この時の珠城さんによくぞ日本物レビューを拵えてくださった!僥倖!!

 

動きの鷹揚さ、目線のひとつひとつ、せり上がりからの緩急。

世阿弥の言葉に「せぬ暇(いとま)こそ面白き」というのがあるそうですが、WTTの珠城さんはこの「暇」がとてもいいのです。

 

 

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珠城さんの日舞を語る上で外せないのが2019年舞踊会の長唄「まつり」です。

私は日本舞踊の素養は皆無なので歌舞伎にもお詳しいフォロワーさんに色々と教えていただいたのですが、とても有名な演目なのだそうですね。


鯔背な鳶頭がほろ酔いで祭りにやってくる。

珠城さんの踊りはとても丁寧で、おそらく先生の教えをとことん踏襲されたのではないかと。

錫杖や獅子舞、お面の付け替え、手ぬぐいさばきもお手のもの、アクロバティックな飛んで跳ねては男性顔負けの力強さ。

歌舞伎ファンから見ても惚れぼれするような江戸風の色男、粋な鳶頭であったとの事でした。

 


大変なことを軽々とやっているように見せられるまで、どれほどのお稽古が必要なのでしょう。しかもこれをIAFAの公演中にやっていたのだから、やはりトップスターというのは凄いものです。

珠城さんの芸事に対する真摯さに改めて頭が下がると共に、組の顔として責任感もおありだったとお察しします。あーかっこいい!

 

 

 

話をWTTに戻しましょう。

 

 

 

文字通り「血のにじむような」努力に裏打ちされた、自信と風格。

珠城さんから発せられるオーラはそれでいて温かくまろやかで、ふわりと客席を見上げる花の顔(かんばせ)は優美そのものでした。

退団発表とコロナ禍の休止を経て、従来の勤勉な固さにおおらかな「遊び」の柔らかさが加わって、どの暇(いとま)を切り取っても美が漲るような、磐石なトップスターとなられた。

珠城さんは研究科13年目にしてこの境地にたどり着いたのです。ファンとしてもとても誇らしく、役者を応援する醍醐味ってこういう所にあるよなぁと改めて実感しました。


コロナ禍でチケットが取りやすかった事もあり「久しぶりに月組を見たけどすごくいいわね」という声をあちこちで耳にしました。それも嬉しかったなぁ。

 

 

私はこの公演を大劇場初日に見たのです。

プロローグで一人銀橋に歩み出る珠城さんが立ち止まって客席を見上げた瞬間、それまでややぎこちなかった劇場の空気がふっと和らいだように感じたんですよね。

2500人の、いや、劇場のみならず、演者スタッフ含め全国各地で開幕を待ちわびていた全ての人々の想いを珠城さんがその広い胸ひとつに受け止め、舞台が大きく動き始めた瞬間だったと思います。

これが組を牽引してきたトップスターの包容力なのかと、あの瞬間の感覚はちょっと忘れられません。


「月の巻」の素晴らしさはもう言わずもがなですね。あの求心力。

爪の先ほどの細い月と共に現れた、冴えざえとした表情の珠城さん…神々しかったなぁ。

 

 

やれこれと難しいことを考えてしまうのが私の、というかオタクの悪い癖なのですが(笑)、日本物レビューはあっけらかんとした賑々しさがいいですよね。古き良き宝塚の世界。

なんたって珠城さん、しゃべ化粧がとってもお似合い!元々美肌さんですが、あれだけしっかり塗りこまれても内側から輝くようなツヤが感じられるんですよね。ふっくりとした頬もまるで博多人形のような美しさでした。

 

 

 

日本物レビューでしか得られない、えも言われぬ幸福感。

ああ綺麗だった、寿命が伸びたと朗らかに拍子をする楽しさたるや。そんな舞台をご贔屓さんに見せてもらえる喜びたるや。

 

やっぱり生の舞台はいい。特に日本物レビューは生に限る。

 

 

 

 


マスクをつけて消毒をしてと、復帰直後の劇場は完全に元通りとは行きませんでしたが、それでも、月組ファンとして再開一発目がこの公演で良かったとつくづく思いました。

東京オリンピックに訪れた海外の皆様がこれを見たら何と思っただろうと詮無きことを考えてしまいますが、こんな贅沢、やっぱりまだ独り占めしていたいような気もします(笑)

 


宝塚の良さを再認識できる日本物レビュー、次はいつ、どの組で見られるかなぁ。続いて欲しい文化です。

 

 

 

次回はあの!《ピガール狂騒曲》さて何文字になるのだろうか…

『I AM FROM AUSTRIA』のこと・後編

『I AM FROM AUSTRIA』後編

 

 

 

さっさと行きます(笑)

前編はこちら

↓↓↓

https://acco11.hatenablog.com/entry/2021/09/18/201806

 

 

 

〇白セーターが似合いすぎる件


珠城りょうさんに白セーター着せた人にも報奨金を差し上げたい。ああ、抱きつきたいあの白セーター。ニットじゃないの。セーターなの。

しかもこのセーター、ファスナーが付いてない!偉い!私、Tシャツに付いてるファスナーは萌えるけどセーターに付いてるファスナーは萎えるタイプのヅカヲタなのでここは重要(めんどくさい基準)。


前回クルンテープのブログで「珠城さんさくらちゃんをブン投げる力の強さがリアルで良い」と述べましたが『ビバビバ!スポーツ』でふざけてエルフィーに腹パン入れるジョージもガチで力強くて好きなんですよね(笑)

珠城さんの力加減分からない男の子み…無邪気…エルフィーおばちゃん骨折しちゃうからやめてあげて…

 

 

 

 

〇「後悔してない?」


初めに言おう。後悔なぞする訳がなかろう!!!!!

てか、ズルくないですか??あのビジュアルであの事後感で後頭部に手を添えて「後悔してない?」って反則ですよね!?そりゃ世界のエマ・カーターも首ふるふるするわ。

余談ですが一幕でパパさんがジョージに「可愛いウィンナー野郎」ってリチャードの口癖をもじってエールを送りますよね。私あれ絶対下ネタに聞こえてしまって(爆)この「後悔してない?」の感じは絶対に「可愛いウィンナー野郎では無いな」って思(規制)

 

ここはさくらちゃんもズルいんだよなぁ〜(笑)友達とのメールにヤキモチ妬いたり、「子供みたいね!」ってイチャイチャしたり。もう狎れ方が完全に一線を超えた男女のそれ。たまさくって…!!!!!(血涙)

 

でもエマはこの後リチャードの元に戻ってしまうんですよね。

あんなに誠実な人いるわけないしこんな幸福あるはずがない。そう思っちゃうよね。

ジョージの「怒るぞ」、穏やかで理性的な彼らしい感情表現だなと思います。

 

 

 

〇家族愛


ホームレス支援を巡り和解した家族。

ジョージがロミーとハグするところ、じーんと来ます。珠城さんってハグの仕草が自然ですよね。母と息子のハグ、肩越しに目を合わせる鳳月杏さんの演じるお父さんも素敵!

IAFAは様々な愛の形が描かれていて、家族愛もそのひとつ。特にパパさんがいいよね。妻と息子をそれとなく繋ぎ止めて、全てを優しく見守る大きな人。

 

 

 

〇「for you」


最近扱いが「バルス」みたいになってますが(笑)IAFAにはやっぱりこの「for you」があって欲しい!なんで新公無かったんだ!

 

しかし「for you」ってなんだよ?実際に言う人いるのか??…まぁ、珠城りょうなら言うか……(謎の納得再び)。

珠城さんの声って不思議です。心地よくて直接ハートに響く声をしているから、ちょっとばかり歯の浮くような事を言ってもものすごく誠実に耳に届くんですよね。珠城さんが詐欺師だったら完全に全財産振り込んでます。詐欺師じゃなくても振り込んでる説あるけど。


「for you」実況をイヤホンで聴くとすごい破壊力なのでおすすめです(笑)言われてみたいなぁ〜!


女優として生きる自分のためにジョージを巻き込むことは出来ない…。エマの固い決意もジョージの真っ直ぐな愛の言葉に思わず揺らいでしまう。

 


「運命という名のシネマがあるなら見てみたい」


堪らずジョージに抱きつくエマ。

ここ、さくらちゃんけっこう助走つけて思いっきり飛び込むのですが、さすが珠城さん。全然体幹ブレないんです!

エマを愛おしそうにきつくきつくギュッと抱きしめるジョージ…というか珠城さん。下手側から見た回、エマの涙に少し驚いたような顔をして、抱きつかれた時にすごく切なそうに眉根をよせてぎゅぅってしたんですよね。

それでもエマは腕をすり抜けて去ってしまう。去られた時のジョージの表情が苦しくて、思わず駆け出してその場を離れる様子が切なかったなぁ。

珠城さん、走るフォームがすごく綺麗で爽やかなのがいいですよね。

 

 

 

 

〇大団円


ここいつもちょっと不思議に思うんですけど、エマはあの時ジョージが現れなかったら何を言っていたのでしょうか?そして、ジョージはなぜあのパティスリーの別離の後でオペラ舞踏会に出向いたのかな。


解釈は様々ですがエマはあの場で、自分がオーストリア人であることと故郷への感謝、そして女優として生きるための正式な決別を伝えようとしていたんじゃないだろうか。けど、そこにジョージが現れて、エマはその瞬間やっぱり嘘はつけないと全てを語りはじめる。


山頂の氷が溶けて川となって流れるように、自然と溢れる想いをそのまま口にしたエマ。エマの心の解放がジョージに届いて、共に歌う「I AM FROM AUSTRIA」は、最後のワンフレーズそこにいる全ての人の歌声と重なる。素晴らしい結実でした。

 

リチャードさんは逮捕されちゃうし(転んでもタダでは起きなそう)、パブロはフェリックスに愛を告白、ホテルは念願の5つ星グレードを獲得!絵に描いたような大団円を「だってミュージカルだもん」と煙に巻いてうっちゃってしまう朗らかさ(笑)全く愉快な作品です。

そして最後にジョージからのサプライズ、エマとお母さんの再会。なつこさんのママ、素敵だったなぁ。こんな粋な計らいをしてくれるハイスペ男子、ウィーンに行ったら見つかりますかね!?

 

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あまり馴染みのないジュークボックス・ミュージカル形式の作品でしたが、どの曲も賑やかで明るく楽しくて、また美しくて、何度も見返したくなる作品となりました。それこそ、故郷に帰るみたいに。


故郷。懐かしく温かで、全てを知られている場所。時にそれが窮屈で煩わしく感じることもあるけれど、やっぱり一番落ち着く場所。

誰もがこの作品を通して自分の故郷を想った事でしょう。私もたまには実家帰ろ、って思いました(笑)

 


フィナーレも楽しくて楽しくて!チロルハットの珠城さん、興が乗った時によくやるお口の動きがえっちくて最高なのでみんな見てください←マニアック

ボレロ調のデュエットダンスも素敵でした。珠城さんはやっぱりさくらちゃんと踊る時が一度男らしくてかっこいい!

 


秋から冬にかけての公演でしたので、ひんやりとした風を感じるとこの公演が恋しくなるんですよね。

コーヒーとチョコレートケーキをお供に、秋の夜長の鑑賞にぴったりの作品となりました。

 

《次回》オンエアに間に合うか?!ウェルカム!ウェルカム!